横浜-PL、熊本工-松山商、駒大苫小牧-早実
確かに名勝負ではあります。
ただ、やはり名勝負には、その時代の高校野球の重み、1球の重み
が大きな要素だと思うんです。
50年代までは、平成以降とは1球の重みが全然違うと思うんです
特に今はもう高校野球はプロへの通過点みたいになってしまい
やれ将来のために、やれ怪我防止、やれ安全、やれ やれ
そうなんです。昔みたいに高校野球がスポーツの頂点的存在ではなくなり
高校野球のために将来有望な選手が壊され、どうのこうの
将来の日本の野球のために どうのこうの
もう、いちアマチュアスポーツに成り下がってしまったわけです。
甲子園という特別感は未だにありますが、国民全体の目が甲子園に向くなんて
事は完全になくなりましたよね?
なぜ昔は将来のために怪我がとか健康管理だとか、なぜ言われなかったというと
もう皆さん忘れていますよね当時の事を、今となったら「あの時、無理させすぎたから」とか
言いますが、違うんですよね、当時はプロ野球の日本一より、高校野球の日本一が
野球のピラミッドの中の頂点みたいな存在だったわけですよ。
だから怪我どうとか我々も思わなかったんですよ。
日本の扱いがプロ野球日本一より高校野球日本一の方が価値があったんですよ
プロ野球日本一、セ王者、パ王者でさえ、今のプロ野球の王者よりも遥かに重みと
価値があって、パリーグ制覇だけでニュース速報が出た時代です。今じゃ考えられないでしょ
そのプロ野球より国民の大きな関心があったのが高校野球であり、野球の頂点というよりは
もう日本スポーツの頂点みたいな存在が高校野球日本一だったんです。
だから、その頂点を目指すために怪我など気にしない、なんとも思わないという時代であり
今とは重みが違い、なんていったらよいですかね?大げさな話、これはあくまで大げさですよ
そうですねぇ、甲子園で負けたら「殺される」ぐらいの負けの緊張感がありましたよね
負けたら終わり、負けたら死ぬ(大げさ) 今なら負けても「いちアマチュアスポーツ全国
大会で負けた」程度でしょ、なのでアルプススタンドの応援してた高校生も負けて帰っている
時は笑顔で普通に帰っていますからね、昔は一球一球一喜一憂しては、涙涙でしたよね
負けたら、みんなしゃがみ込んで生徒が泣いていましたよね。
そんな時代だからこそ、平成以降高校野球の名勝負が50年代までの名勝負と比較できないというか
もう別スポーツみたいな感があって、私の中の名勝負は春も夏も50年代までですね。
駒大苫小牧-早実とかランキング1位とか言われると、うーーーんってなってしまいますね
延長15回ですしねぇ、延長が18回から15回になったあたりで一気に冷めてしまいましたね
ボクシングだとIBFと12ラウンド制になって一気に冷めた
F1だと赤旗 再スタート アクティブサス ダメ 注油OK とかになって冷めた
プロ野球だと交流戦とクライマックスシリーズで一気に冷めた
ラグビーはボールを離す時間が遅くなって一気に冷めた
最後は話が逸れましたが、そういう事です(笑)
コメント
昭和57年の池田が高校野球を変えてしまいましたね。それでも蔦さんはここぞという時には1点を取りにくる野球をしてましたが。
私が見始めた時はまだ木製バットの時代だったので、1点を遮二無二取りに行く野球でした。それがプロとは違う高校野球独特の面白さだったのですが、最近は器具も練習方法も変わり、筋肉ムキムキの高校生ばかりで、とにかく打ちゃいいという雑な野球にしか見えません。気持ちが悪い。
早実対駒苫の延長15回も細かい作戦がなかったので、私はあまり好きではありません。
延長も18回に戻すべきですよね。15回までなら引き分けになる確率が高く、再試合で選手が無駄に消耗してしまう。昭和33年以降、夏の大会で18回まで行ったのはたったの4回しかありません。大体は16回か17回までで決着が付くんです。
私はバレーボールが好きでしたが、ラリーポイントになって見るのを一切止めました。サーブ権があってこそ名勝負が生まれるんです。
乱雑な文章になってしまいましたが、おっさんの私にはスポーツルールは退化しているとしか思えません。